王であるキリスト(ルカ23.35-43)あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる…
今日は、年間最後の主日にあたります。「王」というのは現代のわたしたちには馴染みにくいイメージですが、この祭日の本当のテーマは、キリストがすべてにおいてすべてになる、終末における救いの完成ということです。
今日の福音は、イエスと共に十字架につけられていた犯罪人のひとりが「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言ってもらう箇所です。この犯罪人はまさに天国泥棒の元祖になります。ルカ福音書のイエスは、自分が死に向かっている最中にも他の人の救いを心配する姿を見せてくれます。十字架の道行の最中にエルサレムの婦人たちに声を掛けて力づけ、また自分を十字架につけた人たちに「父よ彼らをおゆるしください。彼らは自分が何をしているのか。わからないのです」と祈っています。
先日、大町教会で知り合いの方の葬儀があり、わたしは亡くなられたことを知らなかったので、葬儀の後になって家族にお悔やみのメールをしました。そうしたら、その方の奥さんから「天国泥棒、しちゃいました。多分、清々しく天国へ行ったと思います。ビックリする程沢山の方々に送っていただきました。」と返信が来ました。人生の最後に洗礼を受け、商売をしていたのでたくさんの人に見送られた葬儀だったようで、彼は、終わりよければすべてよしのしあわせな人生だったと感じました。
人生の最後に洗礼を受けるなら、真っ直ぐ天国に行けそうで羨ましく思います。それまでにたくさんの人の祈りがあったからだと思います。
昔わたしが東京の教会にいたころ、ふだんあまり教会に来ていない家族で、そこのおじいちゃんが洗礼を受けて亡くなり、家族がこれで真っ直ぐ天国に行けたと喜んでいたので、わたしは葬式のお説教で、おじいちゃんは天国の入場券をローンで買ってもらったんですよ。支払いは家族の人たちがこれから、ちゃんと教会に来ることで代金を精算してくださいねと話したことがあります。
キリストはすべての人が救われることを願っています。人の魂の救いがもっとも大切なことです。この世で健康で長生きすることだけが、幸いなことではないことを時々考えてみましょう。わたしたちが何かの形で、わたしの周りの人たちの天国泥棒の手伝いとか手引きが出来れば幸いですね。