幸せの波動
山本 孝神父
鈴木秀子シスターの本を読んでいたら素敵な言葉を見つけました。わたしたちが生きていく上でいちばん大事なことは、自分が幸せであることです。自分が幸せでない人は、周りをいかに幸せにしようとしても、何か無理があって、周りに幸せの波動が伝わっていきません。私たち一人ひとりが幸せであるときには、その人のそばに行くとほっとしたり、この人に出会ってよかったなと感じたりします。そして、あのような人になりたいなと思います。
あの人があんなに幸せで、人を惹きつけている魅力は何だろうと考えます。そして、その人の深いところにあるもの、深い内面にたたえられている穏やかさとか、屈託のなさとか、優しさといったものに行き着くと思うのです。あなたが幸せならば、知らないうちに、あなたからの幸せの波動が周囲に伝わっていきます(今、目の前のことに心を込めなさい 鈴木秀子 大和書房)。
わたしがいま住んでいるところは、サービス付き高齢者向け住宅です。3階建ての大きな施設です。わたしは車椅子で動きが不自由なので1階に入っています。2階3階の方は比較的元気な人が多いみたいです。1階には14人入居していて車椅子の人も歩行器を使っている方もいます。入居者同士で話すことはあまりなく、食堂で同じテーブルの人と挨拶を交わすくらいです。いろんな人がいて平和でのんびりした人も、見ていて疲れる人もいます。
わたしは日曜日の教会の他に週に二回デイサービスとデイケアーのため外出しています。玄関にはいつも鍵がかかっていて、元気な人は、暗証番号を使って、自分で鍵を開け閉めして出かけています。わたしはいつも迎えの車が来る時間前に、すぐ出られるように玄関ホールで待っています。
ところがいつも迎えの車が来ていても近くにいないので職員さんを困らせる人がいます。わたしは毎週のことなので靴を履いて玄関で待っていればいいでしょうと言うと、すぐどこかに行ってしまうので職員の人目につく食堂で待たせているそうです。ところが迎えが来ても靴を履くまでが時間がかかり、靴下を履いてなかったから職員さんがその人の部屋まで取りに行くことがあります。外出するのにいつも素足の老人は、とても平和な感じのお爺さんです。いつも迎えが来てから嫌味なことをいうおばあちゃんもいます。いつも施設内を見回りしている、野良猫のボスみたいなおじさんもいます。少しボケでいる感じの平和な人はいいなと思います。わたしは平和で幸せそうな人が多くいれば、それから職員さんも幸せならば。きっとここは素敵な施設になれると思いました。わたしはたいしたことはできないけれど、いつも感謝できることと、幸せなことを見つける生き方をしていたいと思います。