「霊的オリンピックに参加」
中村道生神父
今年の夏は、皆さんはいかがお過ごしになりましたか? パリ・オリンピックは結構楽しまれたのではと思っています。
私も神居修道院の兄弟たちと一緒に楽しく過ごしました。とくに、旭川出身の北口榛花さんが金メダルを獲得したときは大喜びでした。高校野球では、北海道の出場校は早々と姿を消したのは残念でしたが、各選手たちが晴れ舞台に立つまで、日常の練習に大変な努力を重ねているのも放映されていて、ふと考えてみました。だれでも参加できる“霊的オリンピック”に参加するために何をすべきか?
聖パウロは、スポーツが盛んだったコリントの人々に、「競技する人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るために節制するのですが、私たちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。」(一コリント9,25)と、書いています。
イエス様は、弟子たちが「天の国では、だれがいちばん偉いのでしょうか」と尋ねた時、幼子を呼び寄せて、弟子たちの真ん中に立たせ、「あなた方によく言っておく。心を入れ替えて幼子のようにならなければ、決して天の国には入れない。だから、幼子のように自らへりくだる者が天の国でいちばん偉いのである」と、仰せになりました。
私たちの信仰生活の生き方、あり方を、武宮神父様は「お祈り、親切、我慢」と分かりやすく教えてくれました。私たち修道者は、「従順、清貧、貞潔」の誓願をとおして,福音を証しするように召されていますが、私は、日々どれだけ「幼子のように自らへりくだり」、すべてにおいて節制し、「お祈り、親切、我慢」をしているか?そんな反省をオリンピック選手たちに教えられ、“霊的オリンピック”に参加するために、「節制」を心がけなければと思いましたが、それは、ファリサイ人のように、ひたすら掟を守る事ではなく、キリストへの信仰によって(ガラテヤ2,16)生きることではないかと思います。
私は、一人で「教会の祈り」を唱えるとき、典礼聖歌の411番をよく唱っています。
私は 門の外に立ち とびらを叩いている
もし 声を聞いて 門を開けるなら
私は 中に入り あなたと共に住む
とびらの 外にはキリスト 心を開いて
神の 言葉と 愛とを うけよう
キリストは 今も叩く 心の扉を