マザー・テレサ
アグネス(マザー・テレサ)はマケドニアのスコピエで3人兄弟姉妹の末っ子として生まれました(1910年)。
母は信仰篤くいつも子供たちの模範でした。
父はマザーが幼い頃に亡くなりましたが、母の愛がいつも注がれていました。
18歳の時にロレット聖母修道会に入会するためにアイルランドに渡りました。
この修道会は貧困の差別なく子女教育に専念する会でした。
マザーは語学の研修を終えて、1929年、インドのカルカッタに派遣されました。
その後、ダージリンで修練をはじめ、39年には終生誓願を立てて、“テレサ”という修道名を与えられました。
マザーは女子ミッション学校の教師として地理を教え、生徒は上流階級の子供たちばかりで、いつも生徒から愛された善き先生でした。
しかし、マザーはスラム街の貧しい人々のことをいつも思い続けました。
1946年のある夜、黙想のためにダージリンへ行く汽車に乗車しました。
そのときのことです。
こころの奥底から語り掛けるイエスの声を聞いたのです。「スラム街に行き、貧しい人々の中にいる私に仕えなさい」。
彼女は数年後、修道会を出てカルカッタのスラム街の中へ一人赴きました。頭からサリーをまとい、ポケットには100円ほどしかありませんでした。
マザーは路上で死を待つ人たちに手をさしのべます。
それがはじまりでした。
マザーは泣きたいくらい辛いことが何度も何度もありましたが、しかし決してイエスから離れたいと思ったことはありませんでした。
やがてかつての教え子たちが一緒に行動したいと願い出ました。
マザーはこのグループを「神の愛の宣教者」と名づけ、イエスの愛を実践していきました。
それは国籍、宗教、民族、慣習の差別なしに、すべての人を受け入れていく姿でした。
1952年8月、マザーは「死を待つ人の家」を開設しました。特にハンセン病者、エイズ患者など重い人々に愛を注いでいきました。この働きはヒンズー教徒のカルカッタの人々から愛され、ヒンズーの女神だとも言われました。
1979年にはノーベル平和賞を受賞し、その後、数多くの賞も受けました。
しかしマザーはすべての賞は自分の物ではなく貧しい人々のものだといいます。すなわち貧しい人の名において、イエスの名において受け取ったと、おっしゃいます。
マザーの祈りは沈黙からはじまり祈る人です。そして日々、神の愛を実践します。
1997年9月5日、マザーは87年の生涯を終え安らかに天に召されました。お別れは国葬にまでなりました。それほどまでに庶民から愛された女神だったのです。
2016年9月4日、教皇フランシスコによって聖人の列に加えられました。
マザーの取り次ぎを願って祈ります。
「聖マザー・テレサ、わたしたちをお使いください。あなたが神の道具となられたように、わたしたちを導いてください。
御父はいつも憐れを注ぎ、走り寄って首を抱き、接吻してくださる方です(ルカ15:20)。
その限りない慈しみを頂いているわたしたちが、あなたの似姿となって隣人を愛することができますように。アーメン」