人間はなぞです!
歩いている「?」
人間は自分のことが、わかりません。自分の口が臭いと気がつきますか?
人からニオイますよ!と言われて、教えられて、気がつきます?!
でも嬉しいですか?面白くないですか?有り難いですか?
訪問先の社長が昼食をとって戻って来ました。見るとお口にご飯粒がついているのです。待っていたわたしは気がついていましたが、客ですから言えません。
そこに秘書の方が入ってきて、すぐに「つきましたよ~ン」と、歌うように言ったのです。社長は、手で払い落としました。絶妙のタイミング。社長は、自分の癖を知っていたのでしょうね。「つきましたよ~ン!」、良い教え方ではありませんか?
お口がニオイますよ。
汝自身を知れ(know thyself)は、ソクラテスの言葉だったと思いますが、学校で学びました。自分を知ることは、簡単ではありません、むしろ最も難しいことです。鏡を毎日見ていますが、自分を知るまでには至りません。これは自分だけの問題ではないと考えます。隣人の助けが必要です。鏡の助けが必要です。
ある人が亡くなって、部屋の掃除をしましたらお酒の瓶が山のようにありました。でも、この人が悪いとは言えません。本人だけの問題ではないのです。むしろ家人(かじん)に、親に、配偶者に、責任者の方に問題があると考えます。本人の人柄にも寄ると思います。難しい人、こわい人に言えますか?自分で自分のことを気づく、これが一番です。でも難しいことです。鏡が要ります。神という鏡があると良いと思います。フランスのパスカルは「人間の偉大さは、自己のみじめさを認めるところにある」と言いました。
イエス様も、「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。・・・まず自分のめから梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」(マタイ7:1~5)といわれました。
パウロも、自分の心の中の罪に苦しみ、次のように告白しているのです。
「私には、自分のしていることがわかりません。私は、自分でしたいと思う善をおこなわないで、かえって、したくない悪を行っています。」(ローマ7:15~19)。