皆さんは左の絵はどなたの絵かおわかりになりますか?
頭の後ろには光が差しています。
両方の手には傷痕が…
聖痕です。
まるでイエスさまのようです。
この絵は聖フランシスコの晩年のようです。
フランシスコは1181年7月5日にイタリアのアッシジという所で生まれました。(イタリア語ではフランチェスコ)
なぜ、フランシスコの手には穴があいているのでしょうか?
本名 ジョバンニ・ディ・ピエトロ・ディ・ベルナルドーネですが、
当時仕事でよくフランスに出かけて行っていた父親のピエトロ・ベルナルドーネは、可愛さのあまりに小さなフランス人という意味の「フランチェスコ」と呼んでいました。
父親の仕事は貿易商で主に繊維物を扱っていました。
フランシスコは総領息子で、名声があり、お金もあり、人にちやほやされて育ちました。
明るく、歌が好きで普通の男の子と同じように、悪さもしました。
そして二十歳の時、騎士として戦争に参加して、もっと名声を上げようと思い、お父さんに立派な鎧を買ってもらい、意気揚々と出かけていきました。
しかし、戦争で見たのは、人間が人間を殺し合う恐ろしいものでした。
「戦争はこんな風にして、人の心をくるわせるのか。人を平気で殺せるなんて…みんな人間ではない!」
敵の捕虜となり、牢獄で病気になり家に帰されました。
フランシスコはみじめな気持でずーっとふさぎ込んでいました。
そんなある日、道を歩いていると崩れかけた小さな教会を目にします。
サン・ダミアーノ教会です。
壁にかかった十字架のイエズス様をを見て(ああ、イエス様。私はどうしたらいいのでしょう。)と祈っている時に、イエス様の声を聞いたのです。
「フランシスコ。」
誰かに名前を呼ばれたような気がしました。周りを見まわしても誰もいません。
「フランシスコ、崩れかけている私の家を建て直しなさい。」
今度ははっきり聞こえました。
そうだ!名声や富よりも、神さまのお望みを果たすことの方が、大切だ。
特別の人ではなく、仕えるられる人ではなく、イエス様のような《仕える人》になろう。
私もただの人でいいのだ!
それからのフランシスコは、衣服もお金も全部すてて、サンダルだけで、毎日祈りながら、崩れかけた教会を直すために汗水流して働きました。
24才の時です。
ヨーロッパのあちこちでハンセン病にかかった人がいました。
その頃は恐ろしい病気と思われ、うつる病気と考えられていました。
どんなにお金があろうと、力ある人であろうと、その町からでて隔離されたところで暮らさなければなりません。
家族に迷惑がかからないように、名前をかくして、訪ねてきてくれる人もいませんでした。
親がハンセン病だ、というだけで苛められている子もいました。
喧嘩をしてても大人たちは誰も止めもしません。
フランシスコはいたたまれなくなって、声をあらげます。
黙って子供たちを抱きしめられたり、手を握られたりするだけで、フランシスコが優しい方だ、と誰でもすぐにわかります。
それから、病人の人や子供の中にフランシスコがいました。
汗の沁み込んだ服、傷口から出たうみのにおい。
とても耐えられないものです。
それでもフランシスコは洗濯をしたり、掃除をしたり、傷口に包帯を巻いたりします。
そのうち、においもなくなり、病人たちはだんだん快方に向かっていきますが、中には捻くれた人もいます。
どうせ気まぐれだろう、わがまま息子に何ができる。もっと丁寧にしろ。包帯を巻きなおせ・・・など。
しかし、フランシスコは(この人たちは身体よりも心はどんなに辛く、いたく傷ついているのだろう。この病気を治せるのは愛情とゆるしだけだ。イエス様も苦しまれた。
もしイエス様がここにおられたなら、きっと一緒に苦しまれてくださる。必ず。)と思うのです。
(私の兄弟たち、希望をもちましょう。希望がないように見えるときでも、希望を持つのが本当の希望です。
「崩れかけている私の家」とは愛のないところだ)ときずくのです。
フランシスコは動物が好きでした。歌が好きでした。
そして自然が大好きでした。
馬の目に映る自分の顔を見て、神さまが自分の目に入れても痛くないほど、私を愛しておられる。
この世界は人間だけのものではない。動物も植物も自然は一緒に生きている。人間だけでは生きていけない。私たちは神さまから生まれた兄弟と姉妹、仲間なのだ。神の目で世界を見ると、山も、川も、空気も、水も大切な仲間、神の愛にこたえている。
フランシスコにのようにイエス様に倣って生きようと望む人がたくさんいます。
1226年10月㏢、一番星が紫いろの空に昇る頃、イエス様の国へ旅だちました。45歳の短い人生でした。
その時どこからかたくさんの鳥たちが集まって、一斉に歌を歌いながらアシッシジが空を飛び回るのを人々は見ました。
聖フランシスコの記念日は10月3日です。
(参考資料 「神様大好き」)