慈しみの神の計画
「エジプトから私の子を呼び出した」(マタ2:15)
ひとり静かに振り返って見る「ヒマ」を儲けませんか。
意味深い事柄に思い当たるでしょう。
メモするだけでは、儲けになりません。事柄には人間が関係しています。
事柄の背後にいた人間を思い起こして、人柄を味わいましょう。
事柄と人柄、出来事と出会いが自分の心に「あの人に逢いたい」という気持ち
にさせます。
チョッとした出会いと親切、お返しの出来ないせつない心が、心の通い合いを
生みます。
しばらくの間をそうして過ごします。儲けという字は、
人の言葉に信頼する者のこと、信+者=儲です。
巡り逢いの神秘を、ひとり静かに思いめぐらしましょう。
記憶には喜びや感動、感謝と感激などが残っています。ふとした時の合間に差し込む陽の光のように、生きていて良かったという気持ちを生みます。痛い思い出や悔しかったこともあります。
かつての自分ですから、認めて、その気持ちを味わいます。
モーセは燃える柴を見て「私はある」という神に出会いました。イエスも「私はある」(ヨハ8章)と自己紹介をなさいました。
目にしているものが燃える柴ではなくても、出会いをかいして、イエスに出会うと、心のうちに燃え上がるものを覚えます。
生かされている私、愛されている私、たしたことのない私です。そして罪深い私です。
そういう私を神が慈しまれたのです。 親は、いたらぬ子ほど可愛いとか!
1 生い立ちを振り返ってみます、一体自分は何者でしょうか?
母のこと、父のこと、忘れられない人、先生、友人、無名のあの人…
2 暮らしの中での喜びと悲しみ、痛みと安らぎを…今、どんな感じ?
成功したとき、破産したようなこと、つまずいたとき、
3 私のこれからの歩みを、共に歩んでくださる、あの方に、何を求めますか?
希望と信頼、生きる力と喜び、感謝感激、雨あられ!
過去の恵みや幸せ、うれしかった時だけではなく、失敗や罪深いこと、傷跡でさえも神の眼差しの中で見直して見ます。
思い出したくないような私が歩いた道を、神は共に歩み直してくださいます。
「私は、エジプトから私の子を呼び出した」(マタイ2:15)。
主である方が、イスラエルの歩んで来た道を歩み直してくださるのです。
荒れ野での「40」年は私の人生の道程でもあります。山と谷あり、砂漠を渡って来た人生街道。
私がまだ神を知らなかったときにも、過ちや失敗したときにも、罪を犯したときでさえも私を慈しまれたことを信じましょう。
いつかこのような私が「父の心」を生きる者になることを待っておられるのです。
♪アメイジング・グレイス♪
わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず、慈しみ深く、
御恵みのために、主よ、わたしを御心に留めてください。 (詩編25:7)